アメリカ横断

ウルトラクイズ


第01回(1977年)

記念すべき第一回大会。

日テレ25周年企画として”史上最大ジャンボクイズ”が企画され

のちのウルトラクイズに改名。

全般的にまだぎこちない。第一次予選の後楽園球場参加者は400人程度

第02回(1978年)

2回目に突入、これにより1発特番からレギュラー化へ。

ブーブーゲート初登場。

第03回(1978年)

テーマソングがいつものアレに。(スタートレックのテーマですが(笑))

バラマキクイズ初登場。

第04回(1980年)

名物”突撃○×どろんこクイズ”登場。まだ、どろんこプールが浅く微妙にキケン。

第05回(1981年)

メキシコへ突入。罰ゲームに闘牛士訓練などがあり、5周年企画としてスケールUP。

第06回(1982年)

東京音頭ならぬ”ウルトラ音頭”登場。製作費が盗まれたり、トメさんが農薬の

強いブドウをそのまま食べ顔面がはれてしまい、トメさんの顔が一度も映らない

チェックポイントもある(笑)

第07回(1983年)

カナダへ初上陸。視聴率最高31%。

第08回(1984年)

人類初”海底早押しクイズ”。マラソンクイズ登場。

第09回(1985年)

フランスのシラク パリ市長(現 仏大統領)のリクエストにより、

決勝はニューヨークからパリへ。

ヨーロッパへいく貴重な回。

第10回(1986年)

10周年記念大会。成田では恒例の”ジャンケン”でなく”腕相撲”。

南米”地獄ルート”と北米”天国ルート”。

第11回(1987年)

名古屋縦断ミニトラクイズ登場。

戦車や風力発電地域を使った大規模な大会。

決勝は異例の3人。

第12回(1988年)

舞台は後楽園球場から東京ドームへ。

アラスカ鉄道や南米チリでのタンゴクイズなどこれまたビッグスケール。

第13回(1989年)

第一問はなんと新聞で発表!!トマト戦争登場。

ゲストにMr.マリック出演。

この回よりルート紹介はスタジオでなくCG。

第14回(1990年)

第一問は朝っぱらから生放送!!

全米をバスで横断するある意味まったりな回。

第15回(1991年)

トメさんからジャストミート福沢へ交代。

”一度負けたら ハイそれまでよ”の下、敗者復活戦廃止。

この回のルート紹介は小倉&永井アナのスタジオ。

第16回(1992年)

バブル崩壊の影響をうけてか微妙に小規模な大会。

一節には第一次予選の日が台風の接近だったためとも。

ジャストミート福沢がデビュー時、プロレス実況スポーツアナでありジャイアント馬場の

敗者復活戦を復帰との願いから敗者復活戦復活。

第17回(1998年)

レギュラーが終了してから6年後に復活。司会はやっぱトメさん!!

トメさん曰く、「いつものウルトラではなく あ!っと驚かせたい。大スペクタクル」との

意見による構成だったが”成田じゃんけん”の代わりに”成田一発芸”、

決勝で”○×ドロンコクイズ”(場所はニューヨークでなく西インド諸島)などレギュラー慣れ

してる視聴者から若干不満があった。なお決勝は生放送。


ウルトラクイズ史上最大の敗者復活戦(1982年12月31日)

過去6年間(1〜6回)の敗者の皆様のために逆にトメさんが全国各地でクイズをし、

各ブロックの優勝者が本戦に出場する大会。

3時間15分程度の長さ。1〜6回のウルトラチャンピョンも登場。

この全国での予選形式がのちの高校生クイズ発端の基礎となった。

ウルトラスペシャル 全国高等学校クイズ選手権(1983年12月31日)

記念すべき高校生クイズ第一回。こちらも上記に引き続き3時間放送。

高校生クイズは開始当初、夏と冬の2大会制だったが途中から夏大会のみ

に変更。2004年から”全国高等学校クイズ選手権”から”高校生クイズ”に改名。

アメリカ横断ウルトラクイズ 必勝虎の巻(1986年5月ごろ)

第10回を目前に控えたタイトル通りの必勝法紹介番組。

また1〜9回の名シーンを振り返る。

アメリカ横断ウルトラクイズ 丸秘攻略法

98年の第17回大会の予想、ウルトラクイズとは何かについて紹介。

アメリカ横断ウルトラクイズ 丸秘密着ドキュメント

Mr.ウルトラクイズことトメに密着したドキュメント。

カウントダウンアメリカ横断ウルトラクイズ

98年の第17回大会の放送日の直前まで深夜に5分ほどでやってた番組。

歴代名シーンをさらりと振り返る。


 

 

 

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